totoの目的とは?

ファンファーレが鳴る。「オグリだっ!オグリだっ!!」後方からのすさまじい歓声が、鼓膜を直撃する。
これが競馬の醍醐味だと思う。その時私はそのオグリと共にレースに勝つことに全神経を集中した。背骨だけでなく、上半身の全部が軋んだ。
すでに腕力で柵を押すレベルではなく、薄っぺらい胸板が柵にめり込んでギリギリと妙な音を立てている。スタート。
俺はきっとターフビジョンを見ていたと思うのだが、正直、レースの前半はまるで覚えていない。1周目の直線で、オサイチジョージが逃げていたことだけは、ぼんやりと記憶にある。
それよりも鮮明に覚えているのは、とにかく全身全霊で身体を後ろに押し返すことに力を注ぎ続けていたこと。もう、胸板が痛くて仕方なかった。
相変わらずのほほんとした顔でこちら側を見ている警備員がうらやましく、憎らしい。そう思ったのも、覚えている。
いまとなっては、買った馬券も忘れてしまった。確か、オサイチジョージの2枠を軸にしていたと思う。

そして、オグリキャップの単勝を100円だけ買っていた。もちろん、記念馬券だ。
俺もオグリキャップは好きだった。小学4年から競馬を見てきたが、あんなふうに首を極端に下げて、健気にひたむきに走る馬を見たことはなかった。
レースのなかに、ひとりだけ人間が混じって走っているような錯覚に陥ることもあった。首が下がるたびに「よいっしょ、こらしょっ」という声が聞こえた。
歯を食いしばっている顔が見えた。けれど、そんな声や顔を連想できたのも、かなり前のこと。
この有馬記念まで惨敗し続けたオグリキャップは、もはや一介の馬でしかなかった。身体をミシミシ軋ませながら、俺はオグリキャップがレースに出ていることすら忘れていた。
だから、4コーナーでかなり白くなった芦毛の馬体が目に飛び込んだときは、本当にビックリしてしまった。外から、どの馬よりも力強い脚色で伸びようとしている馬。
半信半疑で俺は叫んだ。声になったかどうかは忘れたが、とにかく叫んだ。
「オグリだっ!オグリだっ!!」何度も叫んだ。そして、俺の叫びは4万人の叫びでもあった。
みんなが「オグリ」という言葉を好き勝手に叫ぶから「グオオオオオッ」みたいな轟音になっていた。終わったはずの馬が、首をググッググッと下げて先頭を走っている。

もう、その姿しか見えない。身体の痛みは、忘れていた。
ただ、俺はオグリキャップを見ていた。オグリキャップは、そのまま真っ先にゴールを通過した。
Tがガッツポーズした。見たいけれど、絶対に見ることはないと確信していた光景。
鳥肌が立った。あのときの感動は、どう言葉で表現してもうまく伝えることはできない。
ウイニングラン。「オグリ、オグリ」の大合唱。
俺は当時流行っていた「××コール」が嫌いだから、鳥肌を立てたまま黙って勝者の凱旋を見ていた。でも、この日のオグリコールは耳にとても心地がよかった。
片意地なんか張らずに合唱しちゃおっかな、なんて思ったほどだ。しなかったけど。
俺は苦しい体勢のまま、首をなんとか左右に振って観衆の顔を見た。どんな顔をしているのか見たかった。

狭い視野のなかでも、5、6人の若い女が泣いていた。口に手を当てて、号泣している女もいた。
女だけでなく、思いきり顔を歪ませて目に涙をためているオヤジもいた。きっと俺も泣きっツラだったから、ほかの面々の泣き顔を見て安心したかったのだろう。
「オグリッ」こうして、スタンドといいレースといい、あまりにも異常な競馬が終わった。生命の危機を感じながらレースを見たのは初めてだったし、その危機をすっかり忘れるほど感動した自分にも驚いた。
極端な失望と極端な感動とがまぜこぜになったレース。このレースを境にして、俺の行動に劇的な変化が起きた。
これほど感動しながら、俺の足は競馬場から遠のいた。生命の危険を感じるほどの圧迫感が、トラウマになったのだ。
「俺だけは違う。お前たちは集団パニックに陥った馬鹿野郎どもだ」と揶揄した若者たちと、いったいどれほどの違いがあるというのか。
オグリキャップの作り上げたメルヘン童話的な世界のど真ん中で、俺は競馬初心者の若者たちと手に手を取りながら普遍的な愛を叫んでいた。背骨を軋ませながら。
この夜、家に帰ってから『中央競馬ダイジェスト』を見た。興奮冷めやらぬまま、もう一度テレビ画面でじっくり感動しようなどと考えていた。
4コーナーを回ってオグリキャップが先頭に立つ。また、自然と鳥肌。
ああオグリ、お前って奴は、ホントにもう。優雅にパドックを見て、返し馬を見て、馬券を買って、レースを見る。

それが競馬場だ。その自然な流れを繰り返すことによって、日々のストレスが癒されてゆく。
ところが、この日の中山競馬場は、肉体的にも精神的にも尋常ではないストレスを俺に与えた。競馬場にはもう、俺の居場所はないと思った。
だが、思い返せばこうして不平不満を口にする俺自身も、4万7779人のひとりだったのだ。記念馬券しか買っていないオグリキャップが勝って、感動に酔いしれた俺。
涙こそ流さなかったが、心の中では号泣していた俺。心の中でオグリコールを合唱していた俺……。
そのとき、俺の陶酔をぶち壊すダミ声が響いた。解説者・O氏の渾身の雄叫びだった。
あ、そう言えば、「オグリキャップを尊敬するからこそ、あえて信念として無印にする」なんてことをOさん、言ってたっけ。さらに大きな声。
俺はプッと吹き出した。吹き出しながら我に返り、魔術師オグリキャップの呪縛から解放された。

ああ、Oさん、あんたはちゃんと競馬してたんだね。オグリキャップを必死で追撃するメジロライアンに目を移しながら、俺はそんなことを思った。
太い金属の塊が脇腹にのめり込む。グイグイと内蔵を圧迫する。
骨盤と肋骨のあいだに挟まったその冷たい物体は、容赦なく体を攻撃し続ける。痛い。
シャレにならない。想像を絶する苦痛や驚きに直面したとき、「胃袋が口から飛び出そうなくらい」という表現を人はよく用いるが、このときの状況はそんな生やさしい慣用句でまかなえる代物ではなかった。
大げさでなく、「死」という言葉が頭をよぎった。「押さないでくださーい!ハイッ、押さないで押さないでー!!」激しい苦痛に顔をゆがめる私の眼前で、あきらめ顔をした警備員の叫びがむなしく響く。
時は平成3年1月昼下がり、場所は東京競馬場ウイナーズサークル。いままさに、真打ちが登場し、オーディエンスは爆発した。

これが「最後の」本場馬入場。誇らしくも寂しげな蹄音が聞こえてくる。
「キャーッ、オグリーッ!」「おつかれさまー!」「オグリーッ、ありがとうー!」「Iさーん!!」「つじもとさーーん!」「オグリー、まだ走れるぞーー!」「オッグーリッ!オッグーリッ!!」これから引退式を迎えるオグリキャップが地下馬道から姿を現そうかという瞬間の出来事である。引退式が行われるのは昼休み。

最後の神頼みはbigのマニアックな情報をお届けします。bigのヒントをお教え致します。
現時点で最高のbigの企画制作を行う専門会社です。今始めるならbigです。
bigに関するアドバイスです。bigのリリースをアナウンスします。

オンリーワンのビック製作を承ります。ビックは絶大な支持を受けています。
ビックサービスの本質に迫ります。安全なまちづくりを実現させる為のビックです。
ビックを狙うなら今がチャンスです。ビックをすばやく探せます。

totoです。totoのヒントをお教え致します。
オーダーメイドのtotoの利用価値をご存知ですか?お仕事帰りでもtotoができます。
totoを使用する機会が増えています。マルチに活用できるtotoです。